平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

【日記】鈍感力で行こう。

鈍感もいいとこだ。

 

学歴。

「私聞いたことなかった。大卒だったんだ」

と誰かが言った。

どうやら皆にオープンにしたのが、確か2回目の飲み会。

飲み会の店は自分で探してきたっけ。

 

その店はもうつぶれてるけど。

 

ミスド

「結構、甘いもの好きですよ。ミスドも好きですね」

 

はあ。

 

ニトリ

「自宅はベッドですね。」

ベッド?

それが何か。

私に何の関係が??

聞いてないし。

 

最近あったのはこれだ。

 

プラス リムーバー ブルー

プラス リムーバー ブルー

 

以前「これ便利ですよ」と言ったら、「ダイソーで探す」と言って私の言うことを聞かなかったのに、先日断られたのを忘れたふりをして再度勧めたらあっさり次の日「イオンで買ってきましたよ」と私に見せびらかす。

 

何が起こったの。

 

先日はTENGAの話。

これはあえてアマゾンのリンクは貼らない。

私も「あ、聞こえちゃった」って言ったんだよね。

聞こえないふりすればよかったのに。

そしたら先週はシューター。

仕事場で不要になったので工事が入り、とっぱわれただけなのに、なぜラブホの料金支払システムに話を持って行く??

私「最近使ったことあるんですか(私は昔あるけど)??」

上司「・・・・行ってないですね」

 

つまり、昔行ったことあるのね。

まあいいけど。

 

下ネタが振れる相手と踏んでじゃれているのか、それとも別の目的があって仕掛けてきてるのか知らんが、とにかく鈍感力で乗り切る、それしかない。

私はアンタの相手をしていられるほど暇じゃないんだ、以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【読書】イザベラ・バード

3月4日読了。 

 

実は、最初に手を取ったのはこちらだというオチつき。

漫画から興味を持ち、文庫本など手に取ってみた。

 

バードさんは現代に生きていたとしても十分に変わり者だと思う。

彼女が生きたのは19世紀末~20世紀初頭。

今ならさしずめ、好奇心・知識欲旺盛の独身女性が世界を旅して回ってみました、というところだろうが、当時はどんな奇異な目で見られたことであろう。

この漫画ではバードさんはどう多く見積もっても30代の女性の設定のように思うが、実際は40過ぎの、言葉が悪いがオバさんだったわけだ。

次に読んだのはこちら。

 

イトウの恋 (講談社文庫)

イトウの恋 (講談社文庫)

 

 イザベラ・バード付きの通訳、伊藤鶴吉の目線からバードさんを書いているが、最後の展開が気に入らない。

一言で言うと、「オエっ」。

吐き気ものだ。

 

イザベラ・バード日本紀行は上下巻とも購入しているが、挫折中。

 

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)

 

 

イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)

イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)

 

 そして今回、やっとこさ読み終わった次第。

 

 

イザベラ・バード 旅に生きた英国婦人 (講談社学術文庫)

イザベラ・バード 旅に生きた英国婦人 (講談社学術文庫)

 

 訳がすばらしいのだと思うが、この文章を総天然色で表現できたらどんなにきれいだろう、と思った。

特にマレーシア(だったかな)あたりの記述は本当に美しい。

この辺は読んでみて頂戴。

 

 

彼女の生きざまは同じ時代を生きたオーストリア皇后、バイエルン家出身のエリザベート(シシィ)と重なる。

エリーザベト (オーストリア皇后) - Wikipedia

イザベラ・バード - Wikipedia

バードさんのほうが6歳ほど年上。

両人とも旅に出ると体の調子が良くなる・・・閉塞感で体調を崩すというのが共通しているな、と感じた。

無論、家柄、それに伴う責任と言う点ではシシィのほうがはるかに上。

この二人がウィーンの宮廷で出会っていたらどうなっていただろう・・・誰か漫画でもフィクションでもいいから書いておくれ。

 

 

【目標達成】わらび座

 今年の目標はこちら。動きがあったので更新。

元記事はこちら。

hachinosu.hatenadiary.jp

 

 

6・趣味と旅行。

5月の誕生月には東京にタカラヅカ観に行く。
宙組のトップお披露目公演だけど・・・取れるかな。
東京公演の千秋楽は映画館で観れるのだが、そこに目標を置くか??
それと、
わらび座観に行きたいです。

この分済。


わらび座いいよ、わらび座
日帰りプチ旅行は寺山修司記念館か函館を考えているが、来年勤続30年だし、函館は夫と行こう、という選択肢もなくはないか。
寺山修司は日帰りできない・・・・うう。

(以下略)

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【日記】人生を狭めてしまったのか??

地元紙を定期購読しなくなって久しく、従って現在こんな記事があるのかも知らないが、かつて私の父方の従兄弟が国家公務員一種試験に合格した時は、新聞に名前が掲載などということがあった。

もう30年近く前の話である。

無論、取材なんかではなく単に名前だけ、なのだが、新聞でその従兄弟の名前を見つけた時は実家の母と驚くとともに、「よかったね~」と素直に思ったものだった。

 

私は彼だけでなく父方の従兄弟たちとはほぼ付き合いがないが、私と同年齢の、父の兄の子のこの従兄弟とはお互いが高校生くらいまでは付き合いがあり、先年彼の父が亡くなった時も葬式には出た。

もっとも、こちらから進んで付き合う相手でもないことは熟知しているし、うちの妹は彼の妹を「世間知らず」と言って毛嫌いしている。

 

さて、この従兄弟はどんな進路を辿ったのか。

結論から言うと、いわゆるキャリア組入りすることはなかった。

それでも、東京都内の国立大学を卒業後、東証一部上場の誰でも知っている大きな会社に入ったのだが、母も私も、キャリア組入りを蹴ってなぜこの会社に入ったのかは長らく理由を尋ねる機会に恵まれなかった。

私も結婚し、従兄弟という立場に変わりはないけれどかなり遠く離れてしまった関係になった。

そしてそのことをすっかり忘れていたのだが、母は長年疑問に思っていたことを父の葬儀のタイミングで会った兄嫁に尋ねてしまったらしく、昨年、相続手続の際に私に理由を教えてくれたのだった。

 

父の兄は某省の中間管理職であった。

最終学歴は高卒。

小さな地方事務所を任されるくらいの地位も力もあった。

しかし、従兄弟が試験合格した時はもう精神状態がよろしくなく、休職中で地方の病院に入っている状態であった。

精神状態がよろしくなくなった理由はいわゆるハラスメントであろう。

他方からのやっかみ、僻み。

兄弟だから性格も似るとすれば、世渡りは余り巧くないだろうとは推察できる。

加えて酒癖も悪くて、私の父同様、家族には当たり散らしていた模様。

伯父の行動をを恨みに思ってなのかは不明だが、兄嫁も、子どもすら病気の伯父には見舞いに一切行かず、見舞いに行くのは父など、兄弟姉妹ばかりであったという。

そしてどうやら「そんな父親がいることが知れては仕事がしにくかろう」と余計な助言をした者が伯母の身内にいるようだ。

それで従兄弟はキャリア入りを諦めたという話。

 

この話は半分は本当で半分は伯母のわがままで就職を諦めさせたと考える。

しかし、父親が、母親がどうこうという話は世間のそこここに落ちている。

例えキャリア組になれなくてもそんな話はいつかどっからか漏れ聞こえて来て、彼の仕事人生を脅かしたに違いない。

彼は人生の可能性を身内に狭まられてしまったのだろうか。

その選択に満足して生きているのであろうか。

多分確かめるすべはない。

 

 

 

【日記】今後の会社での立ち位置

自意識過剰もはなはだしいが、おそらく確実に近未来、私に降ってくる事象であろうから書き残しておく。

 

勤務先は本年度を持って役職者登用については試験制度を廃止する。

つまり、次年度からは「アンタ、やんなさい」と命令され問答無用で辞令を受ける。

受けたくなければ多分辞職に追い込まれるだろう。

さまざまな理由で昇進を望まない者にとっては地獄行きの片道切符のような制度である。

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【読書】黒い画集

 松本清張の短編集。「天城越え」が読みたくて購入したがこの部分だけで1日で読了。「あれ?こんな簡単に終わるんだっけ」と思った。

冒頭の「遺書」、中ほどの「寒流」、終わりに近い「紐」が気にいったが、私が推すなら「遺書」。

作者の、読者に対する罠が2重3重にも仕組まれている。

 

黒い画集 (新潮文庫)

黒い画集 (新潮文庫)

 

 

【2018年目標】ゆるーくって無理多分。

 

1・断捨離は継続。 

ダイニングテーブル、鏡台、共に処分できなかったが、椅子は処分できた。
収納用品として購入した無印良品の品がかなり粗大ごみ行きになった。
収納すべきモノが減った証なのでこれは喜ばしい。
大物の処分に至らなかったのは残念だが。。
この目標は2018年も継続する。
SNSで結果を残す。


2・本は即売り→読書メモ残す。
これは良く出来たと思う。
その代わり、読書量も減ったと思われる。
CFPの受験勉強を抱えていてはやむを得ないのかな。
次年度は本の題名だけでもいいからSNSにUPするようにする。
1に準ずるが、FBにするか、新たにブログを設置するかは未定。

↑※筆者追記。

この文章はもともと本名でやっているFBにUPしたが、このブログに転記した。

ツイッターで題名つぶやいて終了もありか。
自己啓発本の類はもともとそんなに読む方ではないが、これらの冊数は減らし、ジャンルは古典、歴史物、推理小説、純文学の類を多くしたい。
本に関しては目標の方向が変わることになる。


3・年金3兄弟とCFP。
2月の年金アドバイザー2級は不合格。100点満点19点と言う、自分史上最低の点数に終わった。
6月のCFPは合格!しかし、11月の不動産は落してしまった。
来年6月、リベンジ決定。
9月のDCプランナーは見送った。
父のことがあって、9月はおそらく受験勉強する時間も精神的余裕もなかったであろう。
2018年6月は2科目受験することとし、一気にCFPを取得したい。
それが無理なら、11月で全科目取得。

自分の傾向が何となく分かって来た。
冬場は寒いから受験勉強には持ってこい。
仕事も年度末にさしかかるからオーバーワーク気味になるが土日出社で何とか乗り切れる。
その代わりと言っては何だが6月以降はまるでダメだ。
気温が高くて暑い。
集中できない。
それと、4月起点で仕事を考えるから、年度の第一4半期、第二4半期は数字で結果を残せない。
自分にはどうやらそういう傾向があるようである。
スロースターターなのか、計画性がないのか、尻に火が付くのが遅いのか。

 

4・減量と健康
もう5キロ落としたい、という野望は叶わなかったが、体重の増減はなかったのでまあ、よしとしよう。

目標にはなかったが、父のことが落ち着いた10月下旬から歯医者に通い出した。
月1度の治療だから何年かかるか見当もつかないが、これは来年以降も継続することにする。
乳腺外科は年2回の診察継続中。
糖尿は3月から断薬して経過観察中。
体に何事もありませんように。
体重は5キロとは言わない、まず2キロ減らす。
歯医者にきちんと通う。
全額負担だが、ドックに入って結果を出す。

 

5・資産運用と生活費
年間40万円の投資原資は25万円しか捻出できず。
日本株を持っていれば売買でそれ相応な配当が算入できたはずだが、今年は日本株投資はほとんど行わず、投信に絞ったので年金原資も976万円まで増加したにとどまった。
ここでは書いてないけど、何でベトナム株に手を付けたのか未だに不明。
来年は税込で1000万円に到達させる。
絶対必ずきっとよ。
そのためには投資原資40万貯められれば運用益ゼロでも達成するが、まずは、原資は今年並みの25万円を目指す。
生活費3000円減額は出来た月と出来なかった月、つまり、出費が多い月と少ない月の数字の差が大きすぎたため、余ったお金を次月に繰り越すことになってしまったのは残念。
幸いなことに11月でベルコの積立のうち3000円が終わり、生活費からではないがその分通帳からの固定引き落とし額を減らすことが出来たので早速銀行積立をその分増額した。
直接老後資金の増加にはならないが。
食費は相変わらず恐ろしい金額がかかっているが、今の給与で何とか賄える金額だからよしとする。
いずれ仕事は辞めるだろうが、時間が出来ればかなり金額が落とせると期待できる部分だ。
6・趣味と旅行。
日帰りプチ旅行は7月に五所川原行けた。
斜陽館にも行った。

 

余談。
リゾートしらかみに乗れたのも嬉しかったが(私は鉄子でないけど)、この逆ルートは私が高校3年生の時に、父が確か弘前から実家へ帰りのルートで使ったのと同じである。
秋田から北に行くと、深浦あたりから何もない。
ただただ海。
父は誰も好まない、行かないようなルートを見つけて一人旅をするのが好きだったようで、その血が多分に私にも入っている。
母には夫としてはただの小難しい、最後まで不可解な人間だったようだが、葬式に集まった近所の人たちの数の多さには私ら家族も驚いた。
葬式に集まった人間は無論、家付きの、ここで生まれ育った母に気を使ってということもあろうが、、父は、母が思うほど孤独ではなかったのだろうと思われる。
ただ、父は近隣の人間に全く心を許してはいなかった。
どうやら父は他人が親しく話しかけて来ても容易に心の中に人を入れず、ある一定の距離を保ち自分を守る処世術を母以上に心得て、徹底させていたようである。
元々の性格に、婿という自分の立場も考えてのことだろうが、それが母には冷たい、冷酷な人間に移ったのだと思う。
長女の私もよく似ているとは言われるが、私もどこか人らしい部分に欠けているのは認める。

父は要領の悪さ運の悪さが災いして、娘から見ても本当に可哀そうな一生だった。
叔父(母の父親違いの妹の夫;本当に婿養子である)も婿だったが同じ扱いではないのだなということが父の死でよく分かった。
婿の立場から見ても本当に可哀そうだった。
生前の父はこの件も含めて愚痴が多い人だったが、巻き添えを一番食らったのはやはり母だ。
報われなかった父の人生が、生涯の最後にいやいやながら働いていた仕事で毎日が輝きだしたように見えた。
必要とされることは、人をこんなにも変化させるのか。
その理由は皮肉にも自分が嫌で逃げ出した仕事で得たスキル故だった。
父はそれが分かって逝ったのだろうか、それをもう確認するすべはない。
余談終了。

宝塚は4月の全国ツアー、5月の東京が観れただけであとはなし。
多分、年1~3回のペースで観に行くんだろうなこれからも。
5月の誕生月には東京にタカラヅカ観に行く。
宙組のトップお披露目公演だけど・・・取れるかな。
東京公演の千秋楽は映画館で観れるのだが、そこに目標を置くか??
それと、
わらび座観に行きたいです。
わらび座いいよ、わらび座
日帰りプチ旅行は寺山修司記念館か函館を考えているが、来年勤続30年だし、函館は夫と行こう、という選択肢もなくはないか。
寺山修司は日帰りできない・・・・うう。
なので未定だが、候補を挙げれば
盛岡(場所未定。)
山形県鶴岡市(藤沢修平記念館または石原莞爾関係)
岩手県奥州市後藤新平記念館
県内だと
秋田県横手市(県立近代美術館とかまくら館など)
にかほ市(白瀬南極探検隊記念館)

まあ、つまり、行きたいところは山のようにあるのですな。

6・その他
仕事の話を2点。

この部分は割愛。

身バレはカンベン。

 

 

ま、こんな感じです。
2018年もどうぞよろしくお願い致します。