平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

私の周りの転校生のその後と私(1)

実家が田んぼだらけの私の田舎。

加えて私の生まれた当時から回りになーんの変化もないつまんない場所。

当然、転校生も自然と少なくなる。

 

高校卒業までの12年間で、年度途中に転校してきた者は2名。

二人とも私の就職までの18年間、それ以降もそれなりに私や私の家族に関わった者ばかりである。

 

そのうちの一人は、いわゆる遠縁の間柄であった。

確か小学校5年生の時に転校してきたはず。

高校でも2年、3年とクラスが一緒になったが、高校生の時分になると彼女が私を一方的に嫌っていて、ついぞ仲良くすることもなかった。

 

学生の時分は彼女も私もそのことを知らなかったが、のちに実家の亡くなった父が、再就職した先が彼女の父親と勤務先が一緒になり、そこで父親同士もお互いの関係を知った次第。

お互いの父親の母、つまり、私と彼女の祖母同士であるがどうやら従姉妹同士らしい。

 

実家の父はその当時、再就職先でその同級生の親にずいぶんといじめられたらしいが、それを知った先方がいじめを止めて普通に接してくるようになり今に至る。

 

彼女はどうしているんだろう。

いわゆる数えの四十二(男の大厄年)の同級会で会ったきりだ。

高卒で就職したのは私と同様だが、彼女はお婿さんをもらって自分の両親と同居していた。

当時はいわゆる地元の堅いところで事務を執っていたと思う。

しかし、婿と自分の父が合わず、婿が子供を置いて家を出る形で離婚。

最後に会った四十二の同級会の時は婿とお別れしてから数年が経過していたであろう。

ガリガリに痩せていてテンションが変に高く、「もしかしてクスリでもやってんじゃない??」的な塩梅で、当時の彼女にちょうどいい程度の女とつるんでいた。

曰く、

自分の両親の年金(ちなみに郵便局員だった;当時は国家公務員か)を食いつぶして自分も自分の子供も自己破産。

結婚したのも二十歳と早くて、相手は同級生。

成人式もおなかが大きいまま挑んだにもかかわらずその同級生とも別れてしまい、妻子ありの男と遊び回っているような同級生の女と。

 

妹がいて、私の妹と同級生だった。

この妹も今はどうしているやら。

 

そうして今一人。

彼女は高校2年時に親の転勤に伴い転校してきた、地銀の支店長のお嬢さんであった。

私が入学した高校にはこの地銀の支店長の子息が何名かおり、彼ら彼女らは学業成績もすごぶるよかった。

彼ら彼女らのうちの一人は自分の父親が退職し、自分も短大を卒業した後その地銀に入行したが、自行のポスターのモデルに採用された。

その銀行の支店の前を通ってポスターを見るたびに「いいなあ、幸せそう」と思ったものだ。

実際、小柄で目鼻立ちもはっきりして彼女は可愛かった。

 

私と同じクラスになった彼女(上の彼女ではない;●ちゃんとする)の実際の成績は知らんが、4歳くらい年上の兄は東北大学に在学中だったから彼女もそれなりに頭はよかったのだろう。

細面で髪が長く、身長も168センチくらいはあったとおもう。

私は部活に入っていなかったが、彼女は文芸部だった。

社宅の近所に住む友人と同じ部活にしたのだろう。

 

彼女の家(と言っても社宅だが)にも遊びに行ったことがある。

支店長らしく1軒屋で、支店の裏にあった。

線の細い母親だったと記憶している。

彼女曰く「母も元銀行員」で「他行に勤務していた」とのこと。

当時は銀行の内部のことなど知る由もなかったが「忙しいときとか、パートさんが休暇で人手が足りない時はこっそり銀行の内部で札勘しているの」と教えてくれたことがあったが、そんなことが知れたら今だったら金融庁が黙っていないだろう。

仙台の出身でこの町とは縁もゆかりもなく、強いて言うと父の実家が●●町と言う、新幹線の沿線上で、当時私の居住する市町村に近かった。

 

休み時間は彼女と私と、他何人かでセブンブリッジやUNOを遊んだり、昼の弁当を一緒に食べたりと高校生らしく過ごしていた日々に激震が走ったのは忘れもしないある年の、正確に言うと1980年代後半の1月のこと。

私は高校2年生だった。

 

祖父が経営していた建設会社が当時三億円(地元紙にはそう掲載されていたと記憶している、実際は不明)の負債を抱えて倒産。

で、そのお金を融資していたのが彼女の父親が支店長を務める某地銀の某支店、だったわけだ。

 

余談だが、同じクラスにはもう一人その地銀に勤務する父を持つ女子がいた。

彼女の父は支店長ではなかったはずだが、彼女も今はどうしているやら。

 

実家の母の言葉を借りるなら、「●ちゃんの父さんが悪いんじゃなく、お金を実際に融資した前の支店長やその前の支店長が悪いんだよ」と言うものの、実際取るものも取られなくなるとなると銀行もエゲつなく、厳しい。

母が「銀行員は背広を着たヤクザだ」と吐き捨てるように言ったのが未だに忘れられない。

 

祖父と私の母は血のつながりはなく、母にして見ればいわゆる育ての親であったが、叔母とは母親が一緒の半分だけ姉妹、であった。

その叔母が当時、会社の事務を執っていた。

その年の正月、祖父母の家に遊びに行った先では叔母が、なんかの帳簿をいじっていたのを記憶している。

内容は知らない。

未成年の私が会社のことを知るはずがない。

実家の父も2年前まで働いていた会社だった。

父は社長である祖父と全くそりがあわず、ケンカ別れと言う形で既に会社を去っていた。

 

その年の大みそかと正月は私にとって一生忘れない出来事になった。

 

転校生の話だけにとどめるつもりだったが、この部分は今まで一度も文章にしたことがなかったので残しておきたい。

●ちゃんとの関係を語るに当たって重要な部分だと思うので。