かれこれ20年は使用していたであろうトイレの汚物入れをようやく断捨離した。
我が家は夫と私の二人住まい。
女性の月のものの一時置き場と言うべき小さい入れ物であったが、私がその都度新聞紙に包んでゴミ袋に投入すればいいじゃん、ということに気づいて幾星窓。
ようやく先週の可燃ごみの日に処分したのであった。
このコンテンツ画像ないけど、こんな代物、画像上げる必要ないでしょってことで。
次は何を捨てようかな。
かれこれ20年は使用していたであろうトイレの汚物入れをようやく断捨離した。
我が家は夫と私の二人住まい。
女性の月のものの一時置き場と言うべき小さい入れ物であったが、私がその都度新聞紙に包んでゴミ袋に投入すればいいじゃん、ということに気づいて幾星窓。
ようやく先週の可燃ごみの日に処分したのであった。
このコンテンツ画像ないけど、こんな代物、画像上げる必要ないでしょってことで。
次は何を捨てようかな。
ソネット集と前後してしまったが、先日読了。
アマゾンでも入荷待ちで、注文してから届くまで1週間ほどかかった。
東北は、石原莞爾も東条英機も生んだところであるが、東条の場合は確か本籍地が岩手と聞いており、育ちは東京。
生粋の東北人ではないと思われる。
この本を読んで感じたのは作者がやはり石原莞爾寄りなのかな、という点。
東条英機が総理大臣として軍人として余りにも稚拙に書かれている。
実際、人の上に立つ器でなかったのだろう。
そういう人間があの時代の日本を、日本陸軍を牛耳っていたというのは大変不幸な話であり、事務方のせいぜい小役人で生涯を全うしたほうがはるかにましな人生を送れたのだろうと感じた。
そして今でいうところのヒステリーの持ち主なのではと思われる。
反面、石原莞爾は胆力があり、例えがあれだが、やくざの大物というか、田中角栄のような「よっしゃよっしゃ」的な部分の記述が多くみられるように感じ、好感が持てた。
元より石原莞爾推しの私なので・・・・喜んで読んだ。
東条英機とは犬猿の仲で、それが原因なのか石原は左遷、予備役編入など軍人としてはあまり恵まれぬ処遇になってしまったがその結果、第二次世界大戦後の東京軍事裁判では戦犯に問われることもなかったのは幸いだったが、戦後の復興も見ることなく石原は逝った。
しかし、名前を間違われ、罪に問われなかった、との記述もこの本にはある。
まあ、確かに満州国建国がこの戦争の原因の発端といえば発端とも言えなくない。
そして特筆しておきたいのは、この方である。
渡辺和子さんが2・26事件の正に目撃者という視点で読めば、この本の味わい方もまた違ってきたはずである。
この本はもう大分前に読んだが、実は当時の私の頭にはさほど残らず、ブックオフで売ってしまった。
著者の渡辺和子さんの父上は、2・26事件で殺害された渡辺 錠太郎で、事件当日は父と就寝中。父の殺害現場を間に当たりにした、とある。
この本に登場する尾崎秀実とのやり取りも生々しくかかれてある。
まさか小娘が・・・・と感づかれなかったのだろうが、その後修道女となった渡辺さんの人生を考えると、余りに重い多くのものを見過ぎてしまったせいなのだろうかという気もする。
断捨離ではないが、出勤前に冷蔵庫の野菜室の片付け、および新聞紙と段ボールをまとめるという作業を行った。
ゴミは20リットルの袋で1つ、新聞紙と段ボールはこれから量りに載せてみるが、おそらく30キロはあるだろう。
少しづつやっていかないと。
やれば30~1時間で出来るのに・・・いつもバカな奴だ。
FBにアップした文を一部変えての日記代わりの記事。
ボスがなにを得意にして来たか、貢献してきたかで、所属する部署の方針が変わる。
社員も大変だ。
現在のボスと先々代のボスは完全に生命保険系。
なので今回は資産運用系が軽んじられているのが感じられれる。
先々代は入社時の部署が今私の所属する部署であったから、私のような下位役職の者にも対応が容赦なく、それに辟易した私はなるべく関わりを避けるようにしてた。
先々代ははっきり言って人でなしだった。
しかし、人でなしの方が出世はする。
何かを得るには、何かを捨てなくてはならない、のいい見本。
彼は出世する過程で人の心を捨てたのだろう。
当代は資産運用で社員が数字を挙げるのにさほど有りがたみを感じていないのがありありで、「部内者の紹介で何とかなる」と思っている節がある。
確かに今年は何とかなるだろう。
でも、来年以降は?
このボス、何かと態度が押し付けがましく、ずうずうしい。
逆にそこまでやらないと何もかもうまくいかないのだと思うが、これまでの押し付けがましい言動、酒席での酒乱ぶりなどで恐らく部署の大半の社員を敵に回している。
が、私はそこまで嫌ってはいない。
そもそも、私の罪を不本意ながら一緒に被ったボスを嫌いという理由で避けていいものか。
それとは関係なく理由は以下の通り。
1・「きちんと」営業かけてきて白地から営業実績挙げた。
人格に関係なく、この点は責任感、誠実、真面目と受け止めるべき。
2・「アンタ、(この商品の契約)よく決めたなあ」と私などに向けるニヤリとしたふてぶてしい笑いは逆に微笑ましく感じる。
3・(追記)社員証の写真の変化=会社での立場の変化??
男子は禿げるという自分ではどうしようもない理由で不本意ながら容貌に変化がどうしても出てしまう。
それに肥満が加わったらおそらく1年で別人と化すだろう。
この部長は、10数年前は坊っちゃん坊っちゃんした風貌だったのに会社での立場の変化か、それとも他に理由があるのか不明だが、まるで別人。
無論、よい変化か??
単にこれだけでこのボスを信じていいものか、と思うが、とりあえず、今年はボスと心中しようと思う。
ただし、ボスも心中する相手を選びたいだろうし、私も倫理的にアレだからひとまず心の中で、ということで許してくれ。
3の続き。
ボスは顔のパーツが大きい。
顔の作りは好みの別れるところだが、決して気の長い人間の作りとは言えない。
相当にせっかちだろうが、うまく隠している。
しかし、根が単純なのか態度に苦悩や孤独が出やすく、分かりやすい。
あと、これも好みの別れるところだが、先代のようにまだ老成(諦めというか)したところがなく、自分で何とかする、と言う気迫があるのは真に結構なこと。
嫌味抜きに称賛を贈りたい。
その反面、グループ会社のお偉方に媚びまくりなのはありありで、飲み会付きの会議は元を取るのに必死ななご様子。
その姿は全く感心出来ない。
しかし来年、あるいは再来年にはもう此処にはいないだろう。
今のピンチをチャンスに変えて、やることやって彼は去るだろう。
これまで私は人間関係がドロドロの部署や、超繁忙部署に配属されることが多く、他の社員よりはドロドロな部分を多く見てきた、とは思う。
その割にドロドロずれしてないのは私の強みでもあり、弱みでもある。
考えたことなかったが。
ボスは中身やお人柄はともかく、ボスとしては新人である。
よきボスに仕立て上げるのも仕事の一環??
他の社員のように嫌い!!!と無視することも出来るが、彼の人間味、意気込み、数字に対する執着心を私らはもっと買うべきでは?
彼は神輿には率先して乗りたいタイプであり、その一方で皆と一緒に担ぎたいタイプでもある。
その点も活かせれば、今までないくらいよい職場になるんだが、誰も気づかないらしい。
しかし、これ以上、参謀ヅラして語るのは止めとく。
私は参謀はおろか、ボスに粛清されても仕方ない側の社員だから。
だから心の中で手を組むことにしたのである。
私の場合、漫画は「面白そうだな」という自分のカンを信じて購入している。
定期購読している漫画雑誌がないためだが、どうしても歴史ものに偏る傾向はあるかもしれない。
で、ここ1年ほどでハマったのは「7人のシェイクスピア」である。
7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT(5) (ヤンマガKCスペシャル)
シェイクスピアが本当に7人いるのかはともかく、「失われた年月」に全く別人の如く生まれ変わった彼には興味はあったのだが、何となく避けていたシェイクスピア、「ソネット集」なら何とか読み終わるだろうと思い、購入。
実際さらさらと読み終えるのだが、思ったのは、こんな繊細なソネットをいい年したおっさんが書けるのか、という疑問と、ハインリッヒ・ハイメを愛読・愛唱したハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフ2世妃のエリザベートの気持ちが分かるな・・・ということである。
宛ら本を持ち、囁きながら廊下を歩き回るお嬢様や貴婦人の気持ちになると言うか。
余談且つネタばれだが、「7人のシェイクスピア」の上記の最新刊にはシェイクスピアの「不死鳥と雉鳩」の詩も掲載されている。
漫画の中では不死鳥と雉鳩のネタとして扱われているこの御夫婦のリンクも貼っておく。
Ferdinando Stanley, 5th Earl of Derby - Wikipedia
Alice Spencer, Countess of Derby - Wikipedia
出世が会社での正当な生き方なら、私は既に見捨てられた人材か、ゲリラに相違ない。
見込みがある人材には会社も役職は与えられないものの、研修や会議への参加を増やすはず。
しかし、異動してこのかた、私にはそんな機会はないに等しい。
会議の参加数だけで言えば、異動前の方が確実に多かった。
先般、その「正当な生き方」をしているであろう上司に足で砂をかけるような行為に及んだのは本意ではないが、これは心の奥底に、会社で真っ当に生きている(ように見える)彼に対する妬み、嫉みがあったのだろうと考えるとなんと無く腹に落ちる。
新しい職場に意気揚々として来た彼には気の毒なことをしたが、これを償うには彼に心酔し、会社に貢献するという生き方が最善であろうか。
しかしもう私はそんな生き方は出来ない。
技で会社に報いることは出来ても、心酔する相手がいない。
そんな上司は、20年も前に亡くなった。
あれ以降、そんな人間は現れない。
会社員としてはもう、平凡な日々に光は当たることはないだろう。
ゲリラはゲリラらしく生きる。
会社辞めたら多分、今の自分のとこの商品はほぼほぼ使わないだろうな。
代替が山にあるしな。
今回のテーマはハッキリ書くとその前段階、ズバリ「いつ会社を辞めるか」である。
資金はある程度ある。
それと、先日、「アンタら夫婦、今辞めるとこれくらい退職金出るぜ」的内容の書類を会社からもらった。
・・・・退職金が二人で2900万円。
これに我が家の金融資産を合算すると驚くなかれ、なんと1億超える。
夫さえ承知すれば、「配当金でつましく遊んで暮らす」だけの資金はなんとか確保できる。
嫁の私はさらさら当てにするつもりはないが、夫はさらにおそらく自分の両親からかなりの金額を相続すると思われる。
私の親は・・・・・ここに書いたが、昨年亡くなった父親からは23000円しかもらってない。
母も亡くなるようなことがあれば、同じような感じだろう。
夫はリスク資産にはほとんど投資してないので(地銀の投資信託が300万ほどあるだけ)、私の資産の大半をリスク商品に振り分けしているが、私とて即日即金で数100万円を引き出しする出来事がこれから何十年かの間には何度もあるだろうから、リスク資産にばかり手を出してるわけにもいかない。
出口戦略。
難しい。
会社員である以上永遠のテーマだろうな、ということでこの話、続く。