平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

オペラント条件付け、トールマンの潜在学習、認知地図

ただいま、心理学の勉強中。

やってみると結構深い。

 

ホントはCFPに専念しないといけないのだが、8月に単位取得試験を持って行っても結構ギリギリ。

毎日1つづつ積み重ねていかないと結構ヤバいのだ。

 

18.9の小娘が大学でいきなり学ぶより、狭いながらも社会経験を積んだ婆(私ですが)の方が吸収が早い??

んなわけないか。

コミュニケーション論の時も思った。

自分のエゴグラムを作って見て、あれも自分の弱いとこを突いていて怖かった。

いずれ書くこともあろう。

私はこじらせると結構厄介らしい。

 

 

 

私はネズミ。

ご褒美を与えられないネズミ。

ネズミは「迷路」を学習しゴールに向かっていたのだろうか。

が、しかし、遂に「ご褒美」を与えられることが無かったのでネズミは腐ってしまい、その「道」からは下りることにした。

 

そして、ネズミはもう振り向かない。

 

「強化」が無くてもネズミは迷路の認知地図を学習できるが、強化が無いと学習の実際の反応遂行は現れないことを示している。

 

迷路の認知地図=仕事のやりかた、ここでは保険に加入していただく方法、話法と言うか、話の持っていきかた、というか。

保険でなくても投信でも物販でも、売れるものなら何でもいい。

 

強化=保険の数字が上がること。加入していただくこと。

強化が自主的に出現すればいいのだろうが、人工的に出現させるためには好子(よしこ、ではなく、こうし)が必要。

要は飴。飴と鞭の飴。

そこは人によって異なる。

金銭か、名誉か。

 

・・・・飴がないと動かない人間などより、飴を与えなくても動く人間を本当は大事にはしないといけないのよね。

でも飴が無くとも動く人間は放置されがちだから。

 

少々こじつけの感があるけど、まあ、認識としてはこれでいいのかな。