平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

もし私に女児の実子がいたら

今では望むべくもないが、ひとつだけ考えていたことはあった。

 

高校はキリスト教系の学校に入れる。

共学、女子校は問わない。

これだけだ。

 

私自身は公立の共学で、最終学歴もそこで終わっている。

その高校に在学していたときに少しかじった合唱を社会人になってから再開したときに強く感じたのは、教養の下地に聖書があるのは、信仰(クレドといいましたっけ?)があることは、人生を要領よく過ごせていない、と感じる私にとってプラスに作用、つまり、もう少し楽に生きる手だてになったのでは、と思う場面に遭遇することが多々あったからだ。

 

あと、海外の絵画はキリスト教の素養があればより理解が深まるだろう。

単純に綺麗だ、タッチが素晴らしいでもいいのだろうけど、それでは何となく、ね。

 

私はともかく、子の世代なら欧米で育った同年代の方と知り合う機会も多いだろうし、人物のバックグラウンドを知るにも役立っただろう。

 

しかし、私は必要と感じてもその素養がないのでそこは学校に頼るしかないのだ。

 

もし私に子があったなら?

子は私の意を汲み取ってくれただろうか。

 

なお、男児がいることは想定していないが、勉強を頑張ってもらって函館ラサールあたりに入ってくれたら、などと今思い付いた。

 

地元の公立高校ではないのだな。