平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

ある老婆との別れ

それは8月のとある日曜日の朝のこと。

私がベランダで洗濯物を干していたら、私の住むアパートの右斜めにある別のアパートの2階の一室から60代前半とおぼしき夫婦が荷物を運び出しているのに気付いた。

その部屋には一人の老婆が住んでいた。

別のアパートの住人を何故知っているかって??

私はその老婆のゴミ出しを手伝ったことが何度もあったからだ。

 

老婆は足が悪く、階段の上り下りがおぼつかなかった。

雪が降ると階段は凍る。

そこを杖をついてほんの7~8段しかない階段を30分くらいかけて下りて、戻るのだ。

タイミングが合えば、だけど、見つけた時は必ず手伝うようにしていた。

 

その老婆に会ったのは多分今年の3月が最後であったと思う。

 

それから自分の職場の異動があったりで身の回りが慌ただしくなり、その老婆のことは思い出すこともなかったのだが、老夫婦が荷物を運び出してるのを見て 「あ」 と思った。

老婆の荷物を運び出してるということは 、その老婆がもうそこにはいないということなのだ。

死んでしまったやら施設に入ることになったのか。

そういうことだ。

どっちかは知らないけどそういうことなのだ。

 

私は気付かなかった。

老婆の住んでいたアパートの一室の窓ガラスは補修した後のテープの貼り方やひび割れが酷かったことを。

おそらく室内で転び、体が当たってしまって割れたのだろう。

誰にも相談できず、必死に自分で直したのかもしれない。

それでもゴミ出しに外に出れたうちはまだよかったのだろうけど、立つのもおぼつかなくなり、自分が壁や窓にぶつかるようになり、多くのひびや壊れを作ってしまったのだろう。

補修の跡も痛々しいその窓を見て私はそう思った。

 

そういえばその老婆の家に人が出入りしてるのを見たことはなかった。

この荷物を運び出している、親族と思われる老夫婦も見たことがなかった。

 

そのアパートには まだ誰も代わりの人が入っていない。

窓ガラスも新しいガラスが入った形跡はない。

眼のくりくりした老婆だった。。

私はいつまでもその顔は忘れないだろう。

そして私もあと30年もすれば私もあの老婆のようになる。

誰も面倒を見てくれないので自分で自分の面倒を見るしかないあの老婆のようになるのである。