平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

【やったこと】2022/09~2022/10【趣味編】

読んだ本は2冊。

なお、1冊はまだ途中。

読み終わったのは↓これ。

アルプスの少女ハイジ (角川文庫)

なんだ、アニメのハイジかと馬鹿にすることなかれ。

8年前にも別の方が訳した本を手にして、今は非公開のブログに感想文を書いているが、アニメよりはるかに大人向けである。

以下、非公開のブログから転載。

結局買って読んでしまった。

実家に児童文学全書50巻みたいなのがあって子供時代に読んだのだが結構忘れてしまっているところがあったので。

東京の往復で読了。

※東京にこの時期行っていたらしい。宝塚観劇か??

こども向けだろう?と侮るなかれ。文庫の値段は500円しないし

※新刊は1200円もした!!びっくりだ、角川書店

漢字よりもひらがながメインだけど、300ページはある!!

※今回手にしたのは400ページ近くあり、漢字がふんだんに使われている。

 

wikipediaに原作とアニメの相違点が詳しくあるのでそちらを(あくまでも)参考にされたいが、読んで気になったのはやはり、wikipediaでも指摘にもあるようにアニメは日本の子供向けに宗教(キリスト教)色を一切排除している点が異なる。

 

※そして原作ではクララはあっさりと立ちあがって歩きだした。

この点も異なる。

 

以下、異なる点。

 

ペーターのおばあさんに讃美歌を読んであげる場面。

おばあさんは「目の見えない私がもうこの本を読むことはないと思っていた、それがハイジのおかげでまた読むことが叶った」と涙を流して喜んだ。

 

おんじが教会嫌いで行かなかったため神様にお祈りする習慣のないハイジが、息苦しいフランクフルトから山に帰りたいという願いを叶えるためクララのおばあさまに習って神様に祈りと願いをささげる場面。

 

いくら祈っても願いは通じないからお祈りを止めてしまったハイジに、クララのおばあさまが、祈り続ければ神様はよいタイミングでハイジの願いを叶えてくれるのだからそれまでお祈りを続けなさい、と諌める場面。

 

ハイジが山へ戻り、字が読めるようになったの、とフランクフルトから持ち込んだ好きな本の部分をおんじに読んで聞かせたところ、その内容が頑ななおんじの心を溶かし、悔い改めさせ、冬はデルフリの村で過ごすことになった場面。

これらはアニメでは余り重要に書かれていないように思う。

 

それと、クララのおばあさまの格好だが、アニメではマダム風であるが、原作には「スカーフを被り、耳の脇からひもが出ている」という記述がある。

※この部分、今回読んだ本ではあまり強調されていなかったように思う。

ん?もしかしておばあさまは伝統の衣装を着用しているのか?読み進めると、フランクフルトの邸にはかつて自分も住んでいた(自分もよく知った屋敷)の記述があり、どうやらクララのお父様=息子と同様、事業をやっていたであろう自分の夫とともに隠居した身分のようだ。

 

登場人物の大半が心に屈折や病(病は一時的なものであるけど)を抱えている。

 

まずおんじ。

おんじは結局自分が悪かったのだろうが偏屈の人嫌いになり(この辺はネタバレになるのであえて書くまい)、誰も人が住んでいないアルムの山の上で暮らしている。

クララが立てない原因はどこにも記述はないが、主治医が言うには心因的なものが原因とある。

そのクララの主治医のお医者様にしても、多分アニメでは書かれていないと思うがクララのおばあさまがフランクフルトのゼーゼマン家の屋敷から帰った後一人娘に先立たれ、妻も既に亡いため、すっかり生きる気力を失くしてしまっているとの記述がある。

ハイジにしても、ホームシックが原因で夢遊病になってフランクフルトのゼーゼマン家の屋敷を夜中うろつくようになってしまっている。

更に書くと、ハイジの父(おんじの息子:ちなみにデーテおばさんはハイジの母の妹であり、デーテおよびハイジの母の曾祖母とおんじの祖母が姉妹であるとの記述もある)が仕事中の事故で亡くなったショックでハイジの母の気がふれてしまい、夫の後を追うように亡くなってしまった、という内容がデーテのセリフと言う形で冒頭部分にある。

 

 

亡くなったハイジの母はともかく、登場人物の心の痛みをすべてアルムの山と空気とハイジが癒してくれた、とするのは児童文学だとしても話としては余りに単純すぎる。

そして、この話は子供向けのアニメの原作と解するのは間違いであると感じた。

 

この違和感の原因はあとがきで知った、原作者のヨハンナ・シュピリの生涯で一層はっきりする。

自分の後半生の一部が登場人物に反映されている。

その苦難に当たった時、自分がどのように対処したか、こうしたであろうということが。

 

ここにはまだ書いていないが、この本を読んだ時期というのがちょうど、身内の不幸に重なった時期でつい涙ぐんでしまった。

私は不要になった本はすぐに売り払う質であるが今回は売るまい。

 

で今途中まで読んでいるのはこれ。

ビジネスエリートになるための 投資家の思考法――The Investor's Thinking

私はビジネスエリートになる予定はないが、思考法は役立つだろう。

 

初っ端で会社の給料だけに頼って生きる生き方こそ、一番危険なのではないか、と説く。

その通りです。

これは病院の待ち時間でサラサラと読み進んだ。

もしかすると案外早く読み終わるかも。

感想は・・・・書くだろうかな。

 

それと、ブランケットを1枚編んだ。

 

写真はないが、現在自宅で使用中。

一応受験生なので編み物は現在封印中。

受験が終わったらまた再開だ。