平凡な日々に光を。

光あれ。例え鈍く、弱い輝きであったとしても。

ランドリーノート

洗濯物の乾きにくいこの時期、よくコインランドリーの世話になる。

ストーブがあるから小物は何とか乾くが、問題はシーツなどの大物だ。

そんな時お世話になる。 今日もシーツを乾燥しに来た。

今の時間は午後5時20分。

 

ここのコインランドリーにはランドリーノートがある。

その表紙にはこう書いてある。

「洗濯を待つ時間にこのノートに今日あったちょっとした幸せを書いて私に教えてください 」

でもここに書かれてるのは幸せなんかじゃない。

子供の落書きが大半で、大人の私のような人の書き込みはあまりない。

しかし、12月19日の文章のところにこういう内容の書き込みがあった。

「困難は分割せよという言葉を知りました。自分の周りで起きている大変なこと、嫌なこと、困難なこと、全てをまとめて不幸で考えるのではなく一つ一つの事を分けて考える。

それはそれ、これはこれ、実はすごく簡単なことだったりするんだとわかりました。」

 

この人は47歳の男性らしい。 結婚26年目と過去の書き込みにあった。

とても達筆な字である。 私の字など恥ずかしくて本当に本当に。

 

ふと思った。

これはランドリーノートだけれども 他のことに使えるんじゃないかしら。

例えば交換日記みたいに。 携帯電話の代わりに。

使ってる人はいないけれどもお互いの待ち合わせの方法の連絡手段として、使えるんじゃないかしら。

携帯やアプリのない時代はこんな方法でつなぎを取っていた連中もいたに違いない。

 

今、其を誰かとやってみる?

こんな前時代なこと。

 

待ち時間でひとつ文章が出来てしまった。

さ、もう帰る。

寒い寒い。